まあ、現在ではオーソドックスな方法かもしれないが、この演技法が浸透していった結果、今のような状況になったということなんだろう。
つまり、実用的な方法だったということだ。
マーロン・ブランドやポール・ニューマン、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマンあたりが分かりやすいと思う。とにかく鬱陶しい系。
このシステムを使うことで、多くの演技者・演出者が、ある程度共通の意識が生まれ、合理的に映画を作れる環境が生まれるといっていいだろう。
そこらへんでやっと本題なんだけど、このシステム、本当に必要だろうか?
確かに効果的ではあるかもしれないけど、演技偏重の映画になってしまうことは免れない。
とにかく面倒くさいのは、演技者がその役を深く理解して納得した上じゃないと、演技が始められないことだ。
例えば、フェデリコ・フェリーニの『カサノバ』でのエピソード。
巨匠作品への出演にはりきり、バリバリに役づくりして、アメリカからイタリアにやってきたドナルド・サザーランドは、その熱演が全くフェリーニに認められなかったらしい。
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